臥龍点睛‐がりょうてんせい‐
スクールカウンセラーだより 5号通信 (正しくは画龍)
スクールカウンセラーだよりは保護者向けに書かれています。「学校の問題はなぜ増えたか」という僕なりの答えを少しずつお話しています。ただこの文章は私見であり、ひとつの考え方にすぎません。子どもたちのことを考えるきっかけになってくれれば幸いです。
世界一おいしいもの
最近はおいしいものが、手軽に食べられる時代になってきました。少し前になりますが、テレビでは料理の鉄人やグルメ番組がたくさん放送されています。また、インターネットでは北海道から沖縄まで全国のおいしいものをすぐに取り寄せることができます。
さぬきうどん。おいしいですね。やっぱり日本一だと思います。ということは私たちは世界一おいしいうどんを食べられるんですね。幸せなことです。世界一の味です。
確かに、食べ物は豊富になり、どんどんおいしいものが食べられるようになってきました。これは、間違いありません。
しかし、ちょっと想像してみてください。戦後まもなく、食べるものが何もない。もう3日、何も食べてない。そんな時、やっとの思いで「ひからびた麦飯」を一杯だけ手に入れる。
「助かったぁー」死の恐怖から解放される。涙があふれて止まらない。命が震える。
ものを食むとは、本来、命をつなぐことである。この麦飯のような体験や感動は、今の日本にはない。日本人は、太古の彼方からすべての生きとし生けるものが代々受け継いできた「食む喜び」を奪われてしまった。これは、とてもとても悲しいことである。
そして、今の日本はとても安全な国になった。とても喜ばしいことだと思う。日常の生活で死ぬかもしれないと思うことは殆どない。日本の日常から「死」は消えてしまった。
以前お話した、森の人はどうだろうか?木から落ちたり、がけから落ちたり、森の中で獣に出くわしたり、川で流されたり…。また、食料として獣を殺めたり、森の中で朽ちた死骸を見ることも珍しくないだろう。自然とともに生きる森の人の日常には、当たり前のように「死」ある。生と死は表裏一体である。「死の恐怖」があるからこそ、「命の喜び」がある。
日本の日常から「死の恐怖」は消えてしまった。そして、その兄弟である「命の喜び」「生の実感」も消えてしまった。ある女子高生が言う。「なんか生きてる感じがしない。」
子どもたちは、「食む喜び」、「命の喜び」という圧倒的な体験ができない、豊かな国日本に生まれてしまった。これは、ひとつの
生き物として未曾有の事態
なのかも知れない。
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