臥龍点睛

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「僕は、あなたを、傷つけない」

 −デイケア ユーザーへのあいさつにかえて−

 僕の家の前にいぬがいる。このいぬがよく吠える。ここに引っ越してきた日に、最初の課題を決めた。

 「この犬に、吠えられないようにする。」

 当たり前だが、犬には言葉が通じない。ノンバーバル(非言語的=言葉ではない)コミュニケーションである。

 この犬に、何を、伝えるか。

 「僕は、あなたを傷つけない。」

 それを、伝えようと思った。

 言葉は通じない。では、どうするか。行為である。

 必要以上に、近づかない。視線を合わせない。背中を向ける。背中をすぼめる。弱いふりをする。怖がらない。ゆったり構える。心の中で「怖がらなくていいよ。僕は、傷つけないから」と、そっとつぶやく。すぐに、気持ちを伝えたいと思わない。そのうちに、「じわりと伝わるだろうか」、とゆっくり構える。

 背中を向ける。日本人にとって、背中を向けるというのは、あまり、いい意味にとられない。しかし、動物にとって一番無防備なのは背中である。その背中を、あえて相手に向けると言うことは、攻撃する意志がまったくないということを、相手に伝える。

 そう言う些細な行為が、功を奏してか、ひと月も経つと、僕には、まったくほえなくなった。今では、目も合わせられる。けっこう、やさしい目をしている。それどころか、他のことでほえていても、「心配しなくても、大丈夫」そう目ではなしかけると、不思議とほえるのをやめる。押さえつけてほえさせないのではない。安心するから、自然とほえなくなる。

 動物は、時に、とてもとても大切なことを、僕に教えてくれる。

 気持ちを伝えるのに、言葉がない方法があること。

 言葉だけでは、気持ちが、伝わらないこと。

 そして、言葉がなくても、信じられること。

 それが、たとえ、いぬとひとであっても、、、

 これは、統合失調症の人にはじめて近づく方法に似ている。

「僕は、あなたを、傷つけない」

僕は、統合失調症の人に、そう挨拶する。もちろん、言葉ではない、、、

 統合失調症の人に近づく方法として、静かに隣にいるということがある。自閉的な方の場合は特に、決して真正面に座ってはいけない。となりか後ろである。正面なら、あえて自分の背中を相手に見せる。決して相手が不安になる距離(パーソナル スペース)の中に入らない。自分がしゃがむと、相手が安心するので、ちょっと近づくことが出来る。

 こっちが威圧的になると、従順になるが、決して本当の気持ちは、語ってくれなくなる。治療関係は崩壊する。

 最悪の近づき方は、相手の不安を全く感知せず、高い目線で、威圧的な、傲慢な態度で、相手にものを言わせない。正面から、バーソナルスペースの中にずかずか入っていき、目を見据えて、野太い声で、相手に無理に「ハイ」と言わせる。最悪である。ふたりの間に、本当の意味での、同じ人間として対等な治療関係が、成立することは、もはや、絶対にあり得ない。いい関係に見えることはあっても、やくざでちんぷな親分子分の関係でしかない。そこに、癒やしは存在しない。

「僕は、あなたを、傷つけない」

「あなたのために、お役にたちますよ。」は、二の次、三の次である。自分の役に立つかどうか、そんなことは統合失調症の人にとって、実はどうでもいいことなのかも知れない。その相手が、安心できる人かどうか、その事の方が、10倍も大切なことなのである。僕は傷つけない。その事がひしと伝わると、関係は自然に出来てくる。

 そして、まだ少し余裕があれば、

 「僕は、あなたに、傷つかない」

それも、伝える。あなたが、僕に対してたとえ何をしても、僕が、傷つくことはない。

 「安心してわがまま言ってごらん。大丈夫だから。」

 それを伝える。それが伝わると、相手は、不思議と僕を傷つけなくなる。パラドックス(逆説)である。

 「僕は、あなたを、傷つけない」

 言葉にすれば、とても簡単である。それが相手に伝わるのは、言葉ではない。ほんの些細な行為の積み重ねである。つまらない、ほんの些細なこと、そんなことが、実は一番大切だったりするような気がする。

 統合失調症の人には、クライシスの(再発するような危機的な)時期がある。その時うまく治療者として、対処できるかどうかは、「つまらない些細な積み重ねを、きちんとやってきたかどうか」、それに左右されるときもある。

 トラブルは、突然やってくる。まあ、ゆっくり1週間考えて、なんて言ってられないときがある。全力で答えを探しても、間違えることがある。よくある。間違った答えを、アドバイスする。それでも、不思議とうまく乗り越えられるときがある。

 これが、どう考えても、最善の答えと思っても、乗り越えられないこともある。たとえば、薬を飲まない外来患者さんがいる。「薬を飲みなさい。」最善のアドバイスであり、他には考えられない。でも、再発する。

 それは、なぜか。薬を飲めないからである。治療者と患者の信頼関係がないから、いくら的確なアドバイスしても、薬を飲めない。再発するのがわかっていて、指をくわえてみているのは、しんと哀しいことである。

 正しいアドバイスをしたにもかかわらず、再発する。間違ったアドバイスをしたのに、乗り越えられる。不思議なことが、時に起こる。

 クライシスが来たときにどう対応するかより、平穏な時期に、どう信頼関係を築き上げていくか。時々、それが、実に大きな意味を持つことがある。

 患者さんとの信頼関係を築き、積み重ねていくこと。それは、気持ちを穏やかに、そして集中し、マッチ棒を、ひとつひとつ、繊細に積み重ねて、目に見えない「塔」を築くようである。

臥龍

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